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<25>小城炭鉱(山口鉱山) 相島幸雄さん(多久市) (11年10月7日)

ピーク時3000人の従業員

 

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 第2次世界大戦中の1940(昭和15)年5月に出炭を始めた小城炭鉱(山口鉱山)。ピーク時には約3千人の従業員を抱え、月平均の出炭量は2万7千トンにも達した。

 

 鉱山にほど近い多久市東多久町渋木地区で生まれ育った相島幸雄さん(77)は20歳のとき、機械の修理担当として鉱山に就職した。石炭は当時の主たるエネルギー源で、まさに“黒ダイヤ”。

 

 「とにかく好況で、他の職種に比べて倍近い給料だった。教員から炭鉱作業員に転職した人もいた」と当時を振り返る。

 

 九州、四国から若い出稼ぎ労働者が集まり、3交代の8時間労働で真っ黒になって坑道から出てきた。派手に遊ぶ人も多く、多久、小城市街は大にぎわいで映画館は連日満員だったという。

 

 良質の石炭を産出し、埋蔵量にも余裕を残しつつも、石油への燃料革命で1962(昭和37)年7月に閉山。約4万6千人だった多久市の人口は相次ぐ閉山に伴い、約10年で2万人減った。「今では本当に寂しくなってしまったが、思い出はまだ色濃く残っている」と、相島さんは当時を懐かしむ。

 

【写真】坑道内でトラブルがあり、普段は人が乗れない石炭貨車に乗って出てくる炭鉱員たち=1960年、多久市の山口鉱山


佐賀新聞社・NHK佐賀放送局共同企画


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