購読のお申込み

この時間のニュース
スポーツニュース

おすすめ情報

木材シンポ

木材利用ポイントシンポジウム
豊富な森林資源を活用し、地域を活性化しよう

ブライダルさが

結婚情報サイト「ブライダルさが」
マイルーム機能、ドレス検索など、お二人の素敵なブライダルを演出します。

Q_Jin_60_60.gif

県内求人情報 「Q-Jin」
1週間以内に紙上に掲載されたQ-Jinの情報を掲示しています。

さが就活ナビ

佐賀で働く人へ「さが就活ナビ」
2014年卒業予定の学生および既卒者、中途採用向けの県内就職情報はこちら

子育て応援の店

子育て応援の店事業
登録店で会員証を提示すると、子育てにやさしいサービスが受けられます。
ふるさと写真館
はてなブックマークに登録 Yahoo!ブックマークに登録 Deliciousに登録 Twitterに投稿
印刷する 印刷する
トップ |記事
<25>小城炭鉱(山口鉱山) 相島幸雄さん(多久市) (11年10月7日)

ピーク時3000人の従業員

 

写真
 第2次世界大戦中の1940(昭和15)年5月に出炭を始めた小城炭鉱(山口鉱山)。ピーク時には約3千人の従業員を抱え、月平均の出炭量は2万7千トンにも達した。

 

 鉱山にほど近い多久市東多久町渋木地区で生まれ育った相島幸雄さん(77)は20歳のとき、機械の修理担当として鉱山に就職した。石炭は当時の主たるエネルギー源で、まさに“黒ダイヤ”。

 

 「とにかく好況で、他の職種に比べて倍近い給料だった。教員から炭鉱作業員に転職した人もいた」と当時を振り返る。

 

 九州、四国から若い出稼ぎ労働者が集まり、3交代の8時間労働で真っ黒になって坑道から出てきた。派手に遊ぶ人も多く、多久、小城市街は大にぎわいで映画館は連日満員だったという。

 

 良質の石炭を産出し、埋蔵量にも余裕を残しつつも、石油への燃料革命で1962(昭和37)年7月に閉山。約4万6千人だった多久市の人口は相次ぐ閉山に伴い、約10年で2万人減った。「今では本当に寂しくなってしまったが、思い出はまだ色濃く残っている」と、相島さんは当時を懐かしむ。

 

【写真】坑道内でトラブルがあり、普段は人が乗れない石炭貨車に乗って出てくる炭鉱員たち=1960年、多久市の山口鉱山


佐賀新聞社・NHK佐賀放送局共同企画


Copyright(c)Saga Shimbun Co.,Ltd