相続相撲1 相続相撲1
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 相続相撲がちょうど一年後に迫っていた。
「さて、どうしたものか?」
 お店(たな)を息子に譲って楽隠居も悪くはない、と考えることもある。しかしまだその年齢(とし)でもないようにも思う。
 八代目・美濃屋伴右衛門は、かぞえで五十四歳になった。
 年齢とともに衰えてゆく順序を、歯、眼、魔羅、と世間ではいう。眼は近くのものが読みづらくなり、歯も左の奥歯が一本抜け、右にも虫歯があるらしく、冷たいものが凍みるようになってはきている。だが四十代のころにくらべ、体力が落ちたとか、気力が減退したとか感じたことは一度もない。
 魔羅は世間の同世代並みだろう、とは思う。だがなにせ世間の並みを知らないため、そのことに関してだけは、なんともいいようがない。正面きって訊くようなことではないので女房に尋ねたこともない。女房が不満を口にするのをきいたこともない。もっとも、この方面での男の自惚れはかなり強いらしく、だれでも、おれは人なみ以上だ、大した技巧を遣いこなす、と思いこんでいるふしがある。世間並みだといいはっても、あまりあてにはならない。女遊びをまったく知らない伴右衛門でさえ、女房は満足しているはずだ、あの顔を見れば満足していないはずがない、と一点の疑いも抱いていないのだから。
 先代の、七代目・美濃屋伴右衛門は根っからの遊び人で、博打と女に狂い、店をかたむけた。伴右衛門が八代目を勝ち取ったとき、美濃屋は人手にわたる一歩てまえだった。八代目は、江戸開府以来代々つづいてきた老舗を潰せば、あの世でご先祖に会ったとき申しひらきができない、と本気で考えるような、生まじめ一徹を絵に描いたような男で、美濃屋の立て直しに追われ、女遊びをする暇などなかった。女という生きものと肌を合わせたのはたった一人、女房のきぬだけだった。
 父を、意識的に反面教師にしたのか、それとも無意識のうちに反面教師として育ったのか、それはわからない。伴右衛門にもわからない。七代目は、
「おれはどうしようもねえ男で、犬の糞みたいな一生だったが、たったひとつだけ、おまえを作ったことは、自慢できる」
 といって死んだ。二十六歳だった孝太郎には、それが父の最期の皮肉にきこえなくもなかった。父は皮肉屋で、あまり人から好かれる類の人間ではなかったからである。
 孝太郎というのは、八代目・伴右衛門を継ぐまでの名だ。美濃屋では、当主は代々伴右衛門を名乗ることに決まっていた。
「さて、どうしたものか?」
 伴右衛門はまたつぶやいた。つい口をついてでた、わけではない。意識的に、自分に問うてみたのである。目的の場所が眼のまえにせまっていた。

 

「相続相撲」1
 伴右衛門が尋ねたのは、書物問屋・鶴屋利兵衛方で、お店(たな)は本石町二丁目にあった。通旅籠町(とおりはたごちょう)の伴右衛門の店から西に六町(約650メートル)ほどのところだ。本石町は時の鐘で有名な日本橋北に位置する問屋街で、糸物問屋、塗物問屋、煙草問屋、呉服問屋、小間物問屋などがとおりにずらりと軒を連ね、仕入れの小売り業者の袖がすれあうほど賑わっていた。鶴屋は間口五間(約9メートル)、奥行きが十五間(約27メートル)の大店で、男女合わせて三十人ちかい奉公人が働いている。引き札のぶらさがっている店先では、番頭や小僧が忙しそうに客の相手をしていた。
「どうしたい? 顔色が冴えねえじゃねえか伴右衛門、心配ごとか?」
 幼なじみから気のおけない友となった鶴屋利兵衛は、伴右衛門にぞんざいな口を利く。伴右衛門とはひとつ違いの年上だが、利兵衛はすでにでっぷりと太り、髪は薄く、顎が二重になっていた。蟀谷(こめかみ)から外に飛びだしそうな長い眉の下に大きな団栗眼をかっと見ひらき、落ちそうになった目玉を受けとめるかのように小鼻が横に張っている。口も大きい。一見、怖そうな顔なのだが、相好を崩すと、なんともいえない、味わいのある容貌になる。肝っ玉が太く豪快な男で、男としての器を比較すれば、おれなど足元にも及ばない、と伴右衛門はつねづね敬服し、頼りにもしていた。
 利兵衛の父親と伴右衛門の父は、いわゆる親友だった。両者とも、飲む、打つ、買うが飯より好きで、その方面でも大いに気が合い、互いに誘っては遊びまわっていた。だがこの二人には決定的な違いがあった。利兵衛の父親は、遊びながらも家業に眼をくばり、先代から譲り受けた身代をより繁盛させ、構えも大きくしたのに対し、七代目・伴右衛門は、ただ遊ぶだけの虚け者だった。
 父親を反面教師とした伴右衛門と違い、利兵衛は父親を理想の男と敬愛し、父親の生きようを実践していた。飲む、打つはむろんのこと、品川にいた女郎をはじめ、水茶屋の女、後家、芸者と、妾を四人もかこっている。
 利兵衛の女房・せつが茶と菓子を運んできた。伴右衛門に挨拶をすませるとすぐさがった。伴右衛門が深刻な話をしにきた、と悟ったらしい。
「相続相撲のことなんだがな……」
「相続相撲? ああそうか、欽公ももうそんな歳になるのか。つい昨日まで小便たらしてぴいぴい泣いてたと思ったが……」
 欽公というのは伴右衛門の一人息子、欽三郎のことで、年が明ければかぞえの二十五になる。
「二十五の息子か……」
 利兵衛がしみじみいったのは、利兵衛には娘ばかり五人で、跡取り息子がいないせいだろう。長女が婿をとり、二人が嫁いでいる。末娘は十になったばかりだ。
「で? どうするつもりだ?」
「それなんだ……」

 

 美濃屋には代々の決まりごとがあった。ひとつは、当主が伴右衛門を名のること。もうひとつは、息子が二十五歳になったら、親子で相撲を取り、息子が勝てばその場かぎりで父親は隠居し、店を息子に譲りわたすこと。これは先祖代々の厳命で、厭とはいえない絶対服従の掟であった。この掟の起源については諸説あるが、どちらにしろ、苦労した初代が早く隠居したかった、ということのようだ。
 八代目・伴右衛門は、父が四十八歳の春に相撲を挑み、激闘の末、店と八代目・伴右衛門の名を相続した。
「あのときは、なんとなく寂しいような、悲しいような、そんな思いだった。あんな飲んだくれで、どうしようもない父親でも、心のどこかでは、生きることのつっかい棒になってたんだなあ、としみじみ感じてな。息子の心の中にいる父の重みが、あらためてわかったような気がした。よい父親でも、駄目な親父でも、重みはみな同じなんじゃないかってな」
 伴右衛門は二十九年まえのできごとを思いおこしていた。
「ある意味では、おまえが羨ましいな。父と肌を合わせることによって、店を受け継いでゆく覚悟を授けられるのだからな。父のほうからすれば、息子がどれだけ頑張って、本気になって相撲を取るかによって、店を本気で継ぎたがっているのか、安心して店を任せられるのか、が占えるんだ。こんな心丈夫なことはねえだろう?逆に、店を早々に譲りたくなければ、父親は日々躰を鍛え、養生につとめなければならない。これは息子が跡取りとして成長するまでは健康でいろ、ってことだろう?よくできた家訓でもあるな」
 たしかにそうかもしれないが、そろそろ店を譲ろうかという父親の心境としては、複雑なものがあった。欽三郎があんな奴でなければここまで悩むこともないのだが。
 欽三郎は伴右衛門とは逆の意味で父親を反面教師にしたのか、七代目に輪をかけた遊び人だった。それもただの遊び人ならまだしも、相撲が大好きな遊び人だった。観るのではない。相撲をとるのが好きなのだ。ちかごろ職業相撲とはべつに、素人の力自慢が相撲で争う辻相撲というのが流行(はや)っていた。空き地や草っぱらではむろんのこと、神社仏閣での、奉納相撲と称する賭け相撲なども大盛況だった。

 

 欽三郎は背が五尺六寸(約172センチ)と、相撲とりにしては大柄なほうではないが、鋼のような筋肉質で、力で押しきる相撲を得手にし、かなりな勝率をあげていた。そのため店の金を持ちだすことはめったになかった。それが救いといえばいえなくもなかった。
 いくら説教しても、改まらないため、勘当も考えた。だが欽三郎の祖母やきぬに、裾をつかんで泣かれては、思いとどまるしかなかった。これを振りきって勘当するような父親なら、欽三郎も違った人間に育っていただろう。
「あの欽三郎に美濃屋の身代を任せるとなるとなあ……」
 あすにも倒れそうにかたむいていた美濃屋を、伴右衛門一人だけの力で築き直し、ようやく軌道に乗せたと思った矢先、先祖代々の掟で欽三郎に店を譲らなければならない。それを考えただけで、心の臓から胃の腑のあたりにかけて、かっと熱く、焼けるようなものが広がり、動悸も速くなるのである。
「勝てると思うか?」
「百番とって百二十番勝てないだろうな」
 利兵衛は正直者だった。
「美濃屋をあいつになあ……」
「おまえはどうだった? 七代目のおじさんと相続相撲をとったとき、とる日が近づいてきたころ、どんなことを考えてた?」
「近づいてきたころ、というより、十八、九のころから、早く相続相撲の日がこないかと、そればっかり考えてた。親父を倒して店を立てなおしたい、とそればっかりな。それとこん度のことと、どう関係があるんだ?」
「飲んだくれの親父と相撲をとってみてどうだった?」
「簡単に勝つと思っていたんだが、始終酔っぱらっていた父が、五、六日まえから酒をぬいたせいか、考えてた以上ににしぶとくて、やっと勝てた。だがな、勝って嬉しいはずの、その晩が辛かった。どこかでおれを支えていた柱がぽっきり折れてしまったような、足元から土台が崩れてゆくような、不安のような、怖いような、そんな心もちで座敷を歩きまわりながら、朝まで横にもなれなかった。それは江戸開府から代々つづいてきたお店(たな)を両肩にどっしりと負わされた、責任の重みだったのだろう、といまになって思えばそういえなくもない」
「おじさんはどうだったんだろう? そのことで話したことはなかったのか?」
「ない」
 といいながら、伴右衛門はあの夜の父を思った。四十八で二十五の息子に負けた父親を。

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